伯爵の称号を持つ貴族の末裔が映画監督

現在ロサンゼルスに在住していますが、この映画を監督した監督はシュレジエン発祥の貴族の家系ヘンケル・フォン・ドナースマルク家の末裔です。本名はフローリアン・マリア・ゲオルク・クリスティアン・グラーフ・ヘンケル・フォン・ドナースマルクというとても長い名前の持ち主です。ちないにヘンケル・フォン・ドナースマルクの前にある「グラーフ」というのは、名前や苗字の一部ではありません。日本でいう「伯爵」にあたる爵位ということです。ドイツとオーストリアの市民権を持っています。

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フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督の略歴

1973年5月2日生まれでドイツのケルン出身です。父親はルフトハンザドイツ航空に勤めていたので、少年時代は父の仕事の関係で、ニューヨーク、ベルリン、フランクフルト・アム・マイン、ブリュッセルといろいろな地域で育ちました。

とても成績が優秀だったので、大学入学資格試験アビトゥアでは最高点が1.0のテストで、なんと平均点1.0を獲っていうほどの天才ぶりでした。ロシアのサンクトペテルブルクの国立IS研究所でロシア語を2年間学んだ後は、ロシア語教師として短期間働いき、1993年から1996年まで英国オックスフォード大学ニュー・カレッジで哲学、政治学および経済学を学びました。

その後は『ガンジー』でアカデミー賞監督賞を受賞したイギリス人のリチャード・アッテンボローに師事しました。そして更にミュンヘン映画映像大学に入学して、短編『Dobermann』などを監督として手がけました。ミュンヘン映画映像大学に在学していた時代には、兄ゼバスティアン・ヘンケル=ドナースマルクと共同で映画を製作しています。 2000年からシュタージ(ドイツの秘密警察・諜報機関の国家保安省)を題材とした初の長編映画『善き人のためのソナタ』の製作にとりかかりました。そしてこの初の長編監督作で、アカデミー外国語映画賞を33歳でオスカーを受賞しました。

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フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督作品

代表作の『善き人のためのソナタ』受賞

ヘンケル・フォン・ドナースマルク家とは?

ヘンケル・フォン・ドナースマルク家は、大航海時代を迎えようとしていた時代の1417年8月1日に、当時コンスタンツ公会議が開催されていたコンスタンツで、ドイツ王およびハンガリー王のジギスムント・フォン・ルクセンブルクが、ヘンケル・デ・クイントフォロ家の3兄弟、ペーター、ヤーコプとニコラウスに対して、紋章を授与したことから始まりました。

ラツァルス・ヘンケルは、1607年よりラツァルス1世・ヘンケル・フォン・ドナースマルクは、大商人で銀行家そして鉱山採掘業者でもありました。彼は神聖ローマ皇帝ルドルフ2世に対して資金融資を行ったことで、ヘンケル・フォン・ドナースマルク家が繁栄するまでの基礎を築いていきました。

その息子のラツァルス2世は、1636年12月18日に神聖ローマ皇帝フェルディナント2世から帝国男爵の称号を授けられます。そして1651年7月29日にはチロル州侯のフェルディナント・カール大公によって帝国伯の称号を授けられました。さらには1661年3月5日に皇帝レオポルト1世からボヘミアの伯爵位を与えられています。

皇帝レオポルト1世は1697年11月14日、レオ・フェルディナントに対して、所領のボイテン(現在のポーランド領ビトム)を自由シュタンデスヘル領として、同家を実質的な独立の支配者家門としました。

1901年1月18日にドイツ皇帝ヴィルヘルム2世はグイド・ヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵に、プロイセン王国の侯爵(フュルスト)の爵位を授けました。グイド侯の資産は1913年時点で2億5400万マルクの資産であったと見積もられています。その資産はグスタフ・クルップ・フォン・ボーレン・ウント・ハルバッハに次いでプロイセンで2番目の資産家という資産でした。侯爵は1916年5月8日に障害者支援のための基金「ドナースマルク侯爵家財団を創設したことでも知られています。

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