ジョニー・デップが俳優になる前

この作品ではジョニー・デップは冴えないツーリスト役です。身分が高く美しいアンジーに誘惑されそして振り回されて…という非モテ系を演じています。ジョニー・デップは作品の前半で朴訥な感じで、ジョニー・デップのフェロモン全開という作品ではありません。いつもと違う役どころのジョニー・デップを楽しめる作品です。

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ジョニー・デップが成功するまで

日本へ来日したときには、ジョニー・デップを一目見ようと大騒ぎになる大人気のジョニー・デップですが、本名はジョン・クリストファー・ジョニー・デップ2世です。

生い立ち

ケンタッキー州オーウェンズボロで、土木作業員の父・ジョン・クリストファー・デップとウェイトレスの母・ベティ・スー・パーマーとの間に生まれました。4人兄妹の末っ子で9歳上の兄ダン、7歳上の姉デビーと2歳上の姉クリスティーがいます。

フランス人、アイルランド人、ドイツ人、チェロキー族(ジョニデの母方の曾祖母)の血を引いていて、文明化五部族のクリーク族の血を引いているとも言われています。

幼い頃には家庭の事情で頻繁に転居を繰り返していて、7歳の時にフロリダ州ミラマーに定住します。1978年に両親が離婚しました。ジョニデが子供の頃はストレスのために自傷行為を繰り返したといいます。12歳で飲酒を始めていて、14歳の頃からドラッグに手を染めたりという、どん底とも言える青年時代を送っていました。

しかし、親友との死別をきっかけに足を洗う事を決意します。16歳の時に高校を中退してミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせました。

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音楽活動

リードギタリストとして「The Kids」を率いて、イギー・ポップの前座も務めました。「The Kids」のバンドは商業的に成功を収めました。そしてバンド活動をさらに活動を本格化させるためにロサンゼルスに活動拠点を移して「Six Gun Method」と改名して、様々なバンドとのコラボレーションを行いました。

ジョニー・デップは最近では、オアシスの曲やローリング・ストーンズのアルバムにもギターで参加したりといった活動の他にも、1995年にはバットホール・サーファーズのギビー・ヘインズと共に「P」というバンドを結成してCDを発売しました。

2010年にはイギリスのインディーズロックバンド・ベイビーバードのアルバムにも参加しています。このバンドではPV撮影の監督も行っています。自らのレコードレーベル“UNISON MUSIC”を設立して、新人発掘を行っているようです。

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初期の俳優活動

プライベートではジョニー・デップが20歳の時に、5歳年上の25歳のメイクアップ・アーティストのロリ・アン・アリソンと結婚しました。

その時に、彼女(ロリ・アン・アリソン)の元恋人だったニコラス・ケイジと知り合いになり、ニコラス・ケイジから俳優への転身を勧められました。

その後ニコラス・ケイジのすすめで、付き添いとして足を運んだオーディションの会場で出演の打診を受けて、1984年にホラー映画『エルム街の悪夢』で初出演します。その後はニコラス・ケイジの紹介で『プラトーン』の端役といったことで映画俳優としての経験を積んでいきました。

俳優活動を始めたばかりの頃は、俳優の仕事に対して消極的だったジョニー・デップですが、尊敬する俳優のフレデリック・フォレストとの共演が転機となって、本格的に俳優への道を歩み出します。

製作側の説得によってフォックス放送のテレビシリーズ『21ジャンプストリート』に主演します。そしてこのテレビシリーズで、一躍ジュニアアイドルとして脚光を浴びることになりました。ジョニー・デップは自分が商品として扱われることや、テレビドラマでの役のイメージに縛られることを恐れたこともあって、テレビシリーズに出演することを止めて活動の場を映画だけにすることに決めました。

ジョニデとアンジー初共演の『ツーリスト』

ジョニー・デップとアンジョリーナ・ジョリー初共演した映画ツーリスト。ヴェネチアを舞台に2人が織り成すドラマの行方は?!

ツーリストについて
ツーリストのあらすじ
本当は別のキャスティングだったのツーリスト
伯爵の称号を持つ貴族の末裔が映画監督
ヴェネチアについて
映画の舞台ヴェネチアの風景
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ヴェネチアの繁栄と衰退
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